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本当は温めておいたペダステ関連を書こうと思ってたんですが、
こればっかりは新鮮なうちの方がいいかと思ってw

昨日は全労済ホール・スペースゼロに初めて行ってきました。
観た演目は「殺人者フジコの衝動」。
今月は仕事のシフトが不安定なので、全然予定を入れていなかったのですが、
逆にそういう時に限って、目につくと飛びつくっていうね、もうじっとしてられないんでしょう。
とにかくいきなり行くことになって観てきました。

実はとりあえずチラっと内容を見ただけで行ったので、
予備知識としては、
1)なんか内容が暗いっぽい。誰かいっぱい死ぬかもしれない。
2)歌はなさそう(ミュージカルばかり見ているので最近ストプレ少なかった)
3)主演は新垣里沙。ペダステにでてたみつぅさん出てるらしい。
4)再演のようだ。
というくらい。
でもそれでよかったのかもしれない。

詳しいストーリーを書いてしまうと、本当にその観点からに尽きてしまうので難しいな。

実際始まってから終わりまで、前に背が高い人が2列にわたってお座りになったため、
残念ながら体をねじらないと正面が見られんかったので、その為に体は動かしましたが、
それ以外は微動だにせず最後まで見ました。

実際面白かった中村座や、礼音退団公演の真っ最中でさえ、
かる~くスイマーさんはいらっしゃるのですが、来なかったね。すごい。

とにかく集中して観ました。

やっぱり重いし暗いし救いようのない話だとは思うけれど、
きっかけはありふれたもので、誰でも人生の一部に切り貼りしてるようなモチーフで、
でもそれがきっかけで別の方向に転がってしまう人って
いるのかもしれないと思わされてしまいました。
原作があったというのは帰りに検索してみて知りました。
それを読んでみたら、今回の脚本と表現との差異がわかって面白いかな。

自分は言葉の力を信じているので、
力強い脚本からは力強い舞台ができると思っています。
そういう意味では、この舞台を作り上げている下地の原作者さんの言葉が
もちろん強力なのだと思うのですが、
体現するためにはそれを置きなおすだけではできないので、脚本家さんの
注力は大変なものだったのでしょう。
舞台装置が簡単なものだっただけにそれを思いました。

主演の新垣里沙さん。
元モー娘。というのは知っていましたが、
自分がそれほどモー娘。に興味がなかったので、
それほど注目はしていなかったのですが、
この舞台を見るにあたって検索して知りました。
忍耐と努力の心の強い人なんだろうな。
昨日の演技を見ていても一点集中という言葉が
彼女を突き動かしているんだろうなと感じました。
可愛さと、けなげさと脆さと強烈な自己肯定。
その自己肯定がなければ生きていくことすら難しいフジコは
純粋な存在なのだと思えます。

カルマという言葉が何回か出てきます。
業とでもいうのかな。色んな行為の積み重ねとして表れる結果という意味だと
理解しているのだけれど、根本的には輪廻転生の考えがあるんだろうな。
輪廻転生する中で一つの魂が積み重ねてきた行為が、幾世代もにわたって
積み重なってそこに現れる。大抵は否定的な結果としての意味のような気がします。
そういう意味では親にされた行為、他人にされた行為、それを自分が受けて
消化して或は消化しきれずに至ったこと。それの表れがカルマなのかな。

理屈っぽく考えてしまいました。

でもそう思えば、根本的なカルマは親子関係から生じるんだろうね。
子は親を選べない。物心ついて人生の選び取りをできるようになるまでは
適合するか迎合するかしかないわけで、
その能動者たる親がどうしようもないほど、
受動者である子供はどうしようもなくならざるを得ない。

自分はどうかな。どうだったかな。
帰ってきてでっかい子供を膝にのせてぎゅっとしてみたりした。

ただ、難しいけれど、それは断ち切れると思う。思いたい。
断ち切れないとその『どうしようもない』ってのは広がるしかないから。


さて、新垣里沙さん、そのあたりを時にシリアスに、ときに面白く演じてましたね。
すごいな~。食わず嫌いいけない。観てみないと色々ほんと、わからないね。
また別の役で観てみたいと思った。


ユウヤの役、知らない人だったんだけど藤田玲さんってひとかな?
このクズっぷりがいいね。
いるいる(あるある)って感じ。口だけのタラレバ男。
ある意味うまく育てれば使える奴になるんだろうけど、
フジコが元々ダメダメ状態なので余計お互いにダメになってく感じがよく出てた。
まじスマキにして川に放り込みたいと思わせるぐらい下種だった。いいね。


もうひとりのフジコが一体何のために出ているんだ?と思っていました。
元AKBの平島夏海さん。AKBにも興味ないので(そもそもTVポイントでしか見ないので)
昨日初めて見たというっても過言ではない。なんかもっさり動くな~と思ってました。
新垣さんがパタパタ動くのと対照的。もさ~っとぼんやりした感じ。
それが躊躇い、まどいながら追いつめられてキレるフジコの内面をよく表してるなと思ったら、
最後のアレ!
いや、どうしよう。まじ騙されました。嫌だな。すごい不快だった(褒めてる)。


永井幸子さんはテニプリの幸村の声やってたひとだね、という認識はありましたが、
北陸弁がけっこうはまっていて(私富山弁しゃべれます)
どこの人かと思ったら南の方の方なのね?
最初から胡散臭かったけどこの人にもやられた。まじ不愉快。(褒めてる)


そんで不愉快の極みが村田充さんね。
大きいのでまあ不愉快度が2倍にも3倍にもなる罪深さ。
大きいってことは舞台では得だよね。
身長もそうだし、手足長かったり、顔も大きかったり、声が大きかったり、
動さや所作が大きかったり、なんでも大きいと目立つし目を引くし場を仕切る。
もちろん、それだけでは役者は務まらないんだろうけど、得な要素にはなるよね。
そういう意味で、昨日の村田さん、キモさが倍増。
本来のご自身の持っているモノに加えて、さっきの大きさの話じゃないけど、
やたら目立つのよ。大きい方なので。

素人くさくぼそぼそしゃべるから余計不愉快。動きもだらだらしてるし。
あいつが居なきゃ、と思わせる苛立たしさが半端なかった。うん(褒めてる)。

あの方出てくるとステージの1/3占める圧迫感があった。

思いつくところではこんな感じ。
思い出したら加筆します。



あと、読む人を選ぶかもしれないので、続きから。

人体関係の話。












ほんと、大体昼の公演見るとそのあと何か軽く食べて帰るんだけど、
新宿の美味しいところいっぱいあるのに、まったく食指が動かなかった。

歩きながら考えてたのは、
果たして、ああいう死体処理表現を最初に読んだのは何だったのかなと。

思い返すに、新井素子の「ひとめあなたに」の中の『チャイニーズスープ』。
素子さんの話はどちらかというとグロさを感じないのに、これはなんかすごいなと思った。
人類最後の日を迎えるとき、どうするか。いろんな人の話が出てくるけれど、
これは不倫していた旦那さんをスープにしちゃう妻の話だった。

あとは桐野夏生「OUT」。
これもイヤだったな。

でも想像の中では興味を持って読んでしまう。
本当にこういうことをやりうるのか、ありえるのか。


そう、想像だから。

現実にこういう事件があると報道されることが最近悲しいかな時々ある。
できることとすること、していいことは違う。


これはカルマだと思いたくない。


小説や舞台は絵空事。
だからこそ作るのが楽しいし美しい。
見る方も喜びを感じられる。



今回はなんだか色々考えちゃいましたね。

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